2025年7月掲示板
毎日暑いですね。まだ7月なのに残暑のようなうだる暑さと湿気にうんざりします。どうぞ体調にお気をつけください。
今月の言葉は聖徳太子の「十七条憲法」からいただきました。聖徳太子は日本に仏教を伝え、親鸞聖人も「和国の教主」と呼んで深く尊敬されました。
「三宝」とは「仏・法・僧」の三つの宝を指します。「仏」はお釈迦さま、「法」は阿弥陀様の願いを伝える教え、「僧」はその教えを共に聞く仲間です。教えを聞く仲間がいなければ、自分の迷いにも気づけません。
ところで「循環彷徨(または環形彷徨)」という現象をご存知でしょうか。人は目印のない場所に置かれると、まっすぐ進んでいるつもりでも少しずつ曲がり、円を描いて戻ってしまうというのです。従来、利き腕や足の長さが主な原因だと思われていましたが、2009年、ドイツの研究チームによる実験では、利き腕や足の長さは関係ないことがわかりました。ただ、従来の予想どおり太陽や月、遠くの山など目印があればまっすぐ進めても、それを失うと人間が曲がってしまうことは間違いないと実証もされました。ここで重要なのは、利き腕とかに関係なく、人間が平素全身で受け取る感覚情報に常に誤差があって、その誤差が積み重なると無意識に曲がってしまう、ということです。
私たちも思い込みや情報に流され、正しいつもりで知らないうちに迷ってしまいます。そんな時こそ〝まっすぐ〟に戻るため、「阿弥陀様の前で手を合わせてごらん」と、聖徳太子が今も呼びかけてくださっているように感じます。
2025年6月掲示板
2025年5月掲示板
6月になってもまだ冷んやりする日が続きます。今月の掲示板は、加賀の三羽烏といわれたひとり、高光大船さんの言葉です。
ふとしたことで意見が合わず、言い争いになる――そんな経験は、誰にでもあることでしょう。そこで「わかり合おう」と、お互いに言葉を尽くす。言葉で生きている私たちにとって、それは当然の行為です。けれども、そうやって努力すればするほど、かえって互いの自己弁護に終わってしまうことも少なくありません。
私たちは「わかる」ということに、とても強く執着しています。それは、「近代」という時代の土台に「知性による理解」が据えられているからです。わかることは善、わからないことは悪――そんな価値観のもと、私たちは知性をもっとも大切なものとしてきました。「よくわかる○○」なんて見出しをよく目にするのも、そうした感覚のあらわれでしょう。
けれども、本当に知性は最優先されるべきものなのでしょうか。もしも知性の極まった姿が、今の世界の現実だとすれば、それはむしろ問題に満ちてはいないでしょうか。言葉で互いを傷つけ合い、知性に絶望し、自らをも見捨ててしまう――そんな世の中のありさまを超えて、「人間の知恵には限界がある」と教えてくださるのが、仏の「智慧」です。仏の智慧は、私たちのものの見方・価値観を、逆の方向から照らし出し、見つめ直させてくれます。
それを先達は、「仏法に出遇う(であう)」と表現されました。それは、知性の衣をまとわず、心と体でその教えにあう、ということです。そこでは、「わからなくても聴く」という姿勢が大切にされます。親鸞聖人が勧められた「南無阿弥陀仏」も、まさにそうしたはたらきのあらわれです。本来は全身をもっていただくべきものを、私たちはまたぞろ頭だけで理解しようとして、結局「わからない」ままでいるのかもしれませんね。
2025年5月掲示板
今月の掲示板のことばは、仲野良俊先生の「自分が大切である だから 他の人を大切にする」です。「自分が大切」と言われると、どこか利己的な響きもあって、モヤっとした気持ちになる方もおられるかもしれません。でも、私たちは本音のところでは、やはり「自分が大切」と感じているのではないでしょうか。
ただ考えてみると、「自分」は自分一人だけで成り立っているわけではありません。私の顔、体、着ている服、住んでいる家、どれも自分のものではあっても、それらはすべて他者との関わりや社会の中で与えられてきたものです。自分を取り巻くものをたどっていけば、家族や地域、国、そして世界につながっていきます。つまり、「自分」はすでに「他者」と切り離せない存在なのです。
この世界とは、自分以外の「誰か」が生きている場所です。そしてその「誰か」も、私と同じように「自分が大切」だと思って生きています。そのことに気づいたとき、「自分を大切にすること」と「他の人を大切にすること」は、決して矛盾しないのだとわかってきます。
仏教には「本尊」という言葉があります。本来的に阿弥陀さまを意味する言葉ですが、「本当に尊いもの」という意味を持ちます。いっぽう、現代を生きる私たちは、知らず知らずのうちに、自分の知識や経験、自分の考えこそが一番だと(ついにはそれが本尊かもと)、どこかで思い込んでしまってはいないでしょうか。そんなときこそ、本当に尊いもの――私たちのいのちを支え、生かし、包んでいる世界そのもの――に、そっと心を寄せて、手を合わせてみたいものですね。
2025年4月
タゴール
2025年3月
竹中智秀
2025年2月
宮城顗
2025年1月
映画『一人になる』より
2024年12月
外川哲
2024年11月
作者不詳
2024年10月
浅田正作
2024年9月
松尾芭蕉
2024年8月
ボブ・ディラン
2024年7月
竹中智秀
2024年6月
『満ちてゆく』藤井風
2024年5月
親鸞聖人
2024年4月
作者不詳
2024年3月
酒井義一
2024年2月
ルー・ホルツ
2024年1月
マハトマ・ガンジー